
※本ページは、AIの活用や研究に関連する原理・機器・デバイスについて学ぶために、個人的に整理・記述しているものです。内容には誤りや見落としが含まれている可能性もありますので、もしお気づきの点やご助言等ございましたら、ご連絡いただけますと幸いです。
1. 序論:国際海運における脱炭素ロードマップと2026年現在の座標軸
地球規模の気候変動対策において、世界の貿易量の9割以上を担う国際海運部門の脱炭素化は最重要課題の一つである 1。国際海事機関(IMO)は2023年の第80回海洋環境保護委員会(MEPC 80)において、国際海運からの温室効果ガス(GHG)排出量を2050年頃までにネットゼロとする目標を含む「2023年IMO GHG削減戦略」を採択した 2。この戦略は、今世紀半ばの完全な脱炭素化に向け、明確なフェーズ別の中間チェックポイントを設定している 2。
表1:IMOにおけるGHG削減戦略目標のロードマップ
| 目標年 | 主要目標および指標 |
| 2030年 | ・輸送効率の最低40%改善(2008年比) ・GHG総排出量の最低20%削減(30%削減を目指す、2008年比) ・ゼロエミッション燃料等の最低5%普及(10%普及を目指す) |
| 2040年 | ・GHG総排出量の最低70%削減(80%削減を目指す、2008年比) |
| 2050年 | ・遅くとも2050年頃までにGHGネット排出ゼロ(ネットゼロの実現) |
2026年6月現在、国際海運業界はこれらの目標達成に向けた「短期対策」のレビューを2026年1月までに完了し、次なる「中期対策」のルール策定に向けた極めて重要な転換期を迎えている 4。しかし、グローバルな一律規制の確立を巡っては地政学的な対立が先鋭化しており、国際社会における合意形成の難しさが浮き彫りになっている 5。本報告書では、規制動向、技術開発、インフラ整備の三つの視点から、国際海運の脱炭素化を取り巻く最新状況を詳解する。
2. IMOにおける国際規制の地政学と中期対策採決1年延期の深層
2.1 ネットゼロ・フレームワーク(NZF)の構造と政治的対立
IMOは中期対策として、船舶燃料のライフサイクル全体(Well-to-Wake)でのGHG排出量を制限する「使用燃料のGHG強度規制(GFI規制)」と、排出に価格を課す「IMOネットゼロ基金による脱炭素化の促進(市場ベースの措置)」を二大柱とする「ネットゼロ・フレームワーク(NZF)」の策定を推進してきた 2。これはマルポール条約(MARPOL)附属書VIの改正(新第5章の追加)を伴うものである 6。2025年4月のMEPC 83において同改正案の基本枠組みが承認され、同年10月の臨時MEPC会合での採択および2027年中の発効が予定されていた 2。
しかし、2025年10月17日の臨時MEPC会合において、このNZFの正式採択に関する採決を12ヶ月延期し、2026年10月に再設定することが決議された 5。この採決延期の背景には、各国の経済的利害関係と政治的な駆け引きが複雑に絡み合っている 5。
米国では、トランプ政権が海運炭素税を「グローバルグリーン詐欺税」と位置づけ、輸送コストや物価の押し上げにつながるとして強硬に反対姿勢を示した 5。さらに、外交圧力を通じて他国に対しても制裁措置を示唆するなどの牽制を行った 5。また、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、カタールなどの産油国も、化石燃料の価格優位性の喪失やエネルギー輸出利益への打撃を懸念して延期を支持した 5。一方、欧州連合(EU)や、気候変動による直接的危機に直面しているバヌアツなどの島嶼国は、早期採択を強く求めており、両陣営間の対立は膠着状態に陥った 5。
2.2 経済的影響評価と実務的論点
炭素課税の導入は直接的に海運コストを上昇させ、インフレを誘発してグローバルな貿易構造や物価に悪影響を及ぼす可能性がある 5。特にエネルギー輸出国や、日本のような輸入依存度の高い国々にとって、その経済的衝撃は甚大である 5。今回の1年間の延期(バッファ期間)は、各国の負担能力を精査し、南北間の貧富の格差拡大を回避するための現実的な調整期間として一定の支持を得ている 5。業界にとっても、代替燃料の給油インフラの整備や船舶の改修に向けた猶予が生まれた形となる 5。IMOは2026年10月の投票に向け、炭素税率や計算方法、ネットゼロ基金の公正な配分スキームの構築に向けた協議を継続している 5。
また、直近の2026年4月27日から5月1日にかけて開催されたMEPC 84においては、日本をはじめとする一部の加盟国から実務上の制度設計に関する懸念が表明された 2。具体的には、適合証書の発行と監査結果を連動させることによって事業者に不当なペナルティが科されるリスク、監査方法や監査人資格に関する公式ガイダンスの整備不足、さらには重大な不適合が検出された際のフォローアップ体制の不透明さが指摘されており、実務適合性の高いルールの再設計が求められている 10。
3. 欧州発環境規制の本格運用フェーズ:EU ETS・FuelEU Maritimeが強いる財務・運航リスク
IMOによる国際一律規制が足踏みを見せる中、欧州独自の法的規制は2025年以降、容赦なく本格的な適用フェーズに突入している。これにより欧州域内および欧州を発着する航路を運航する世界の海運事業者は、多大なコンプライアンス対応と財務的負担を強いられる状況となった。
3.1 EU ETS(欧州温室効果ガス排出量取引制度)の100%適用
2024年から段階的に導入が開始された海運部門へのEU ETSは、2026年1月1日をもって最終段階(本格運用フェーズ)に移行した 11。2024年の40%、2025年の70%という猶予期間を経て、2026年からは検証済みの対象排出量の100%に相当する排出枠(EUA)の提出が義務付けられている 11。
対象範囲は、EU/EEA加盟国港湾間の航海における排出量の100%、EU/EEA加盟国港湾と域外港湾を繋ぐ航海における排出量の50%、およびEU/EEA加盟国港湾での着岸・停泊中の排出量の100%である 11。さらに2026年からは、対象となる温室効果ガスが二酸化炭素(CO2)のみならず、メタン(CH4)および亜酸化窒素(N2O)にまで拡大された 11。これは、未燃焼のままメタンを排出するメタンスリップ問題を持つLNG燃料船などにとって、適合コストのさらなる高騰を意味している 11。海運会社は、EUA価格のボラティリティに対するヘッジ調達戦略の構築や、船主と定期用船者間における排出枠の費用負担の責任分担契約(ETS条項の追加)といった複雑な財務計画に直面している 11。
3.2 FuelEU Maritime規則の開始と柔軟性メカニズム
2025年1月1日に発効したFuelEU Maritime規則は、EU ETSを補完し、船舶で使用される燃料のライフサイクル全体(Well-to-Wake)におけるGHG強度(エネルギー当たりの排出量、単位:gCO2eq/MJ)の上限を段階的に厳しくしていくものである 13。対象はEU/EEA加盟国の管轄下にある港湾を発着する総トン数5,000トンを超える船舶である 13。
本規則の特徴は、単純な削減義務にとどまらず、事業者の適合コストを平滑化するための「バンキング」「ボローイング」「プーリング」といった柔軟な仕組みが認められている点にある 13。
- バンキング(Banking): 年間平均のGHG強度が義務上限値を達成し、余剰が生じた場合にその超過達成量を翌年へ繰り越すことができる 13。
- ボローイング(Borrowing): 上限に達しなかった不足分がある場合、翌年の上限枠から前倒しで利用することができる 13。ただし、翌年は前倒し利用分の1.1倍に相当するペナルティが課されるほか、利用可能量には上限(当該年のGHG上限値の2%に消費エネルギーを乗じた値)があり、2年連続のボローイングは禁止されている 13。
- プーリング(Pooling): 複数の船舶間、さらには異なる海運会社にまたがる複数の船舶間で、コンプライアンス・バランスの過不足(余剰と不足)を相殺し合って適合とみなす制度である 13。同一船舶を複数のプールに所属させることはできず、またプール組成によって新たな不足が発生するような構成は認められない 13。
最終的にこれらの手段を用いても適合できなかった船舶に対しては、過不足分に応じたペナルティとして高額な罰金が科される 13。罰金を支払うことで適合証書(DoC)の発行を受けられるが、2年連続して不適合(罰金未払い等)状態が継続した場合は、EU/EEA加盟国への入港拒否や拘留命令が発令される 13。
3.3 欧州地域規制における付帯措置と例外規定
欧州の規制は、迂回や特殊な環境下での運航に対応するための複数の細則を設けている。
地理的ルールの補正として、EUから300マイル以内に位置し、コンテナ積替率が65%を超える域外港湾(タンジェメッドなど)を経由した迂回運航を防止するため、2025年末までに該当する「特定コンテナ積替港」のリストが欧州委員会より公表され、実質的な直行便とみなして排出量の算定が行われる 19。また、極地などでの運航特性を考慮し、アイスクラス(IAまたはIAスーパーなど)を持つ船舶は、厳しい氷海域の航行に伴う追加的なエネルギー消費量(全消費量の5%)をFuelEU Maritimeの規制対象から除外することが認められている 13。
さらに、バルト海などの特定の閉鎖海域における生態系保護を強化するため、2025年8月1日以降、すべての貨物船についてグレーウォーターやブラックウォーターを含むあらゆる廃水のバルト海への排出が禁止された 15。フィンランド領海内でのスクラバー洗浄水の排出禁止も2025年1月1日より適用されており、海洋環境規制全体が急速に厳格化している 15。
表2:EUにおける二大主要海運環境規制の比較
| 項目 | EU ETS(海運部門) | FuelEU Maritime |
| 開始時期 | 2024年(段階導入開始)、2026年100%本格適用 11 | 2025年1月1日適用開始 15 |
| 主要目的 | 船舶からのGHG総排出量の抑制と価格付けを通じた市場経済的削減 11。 | 船舶使用エネルギーのWell-to-WakeライフサイクルGHG強度規制 15。 |
| 対象ガス | CO2、CH4、N2O(※2026年から3ガスすべてに対象拡大) 11。 | CO2、CH4、N2O 13。 |
| 航路対象割合 | ・EU域内間:100% ・EU域内外間:50% ・EU港湾停泊中:100% 11。 | ・EU域内間:100% ・EU域内外間:50% ・EU港湾停泊中:100% 13。 |
| 適合措置・柔軟性 | 市場からの排出枠(EUA)調達・提出 11。 | バンキング、ボローイング、プーリング、罰金支払い 13。 |
| 追加要件・罰則 | 排出枠の未提出に伴う罰金および法的処置。 | ・停泊中の陸上電源(OPS)使用義務化(2030年〜、コンテナ船・客船) 13。 ・RFNBO(e-fuels)の使用義務化(2034年〜) 17。 |
4. 日本におけるグリーンイノベーション技術開発の最前線とマイルストーン
日本は国際海運の脱炭素化をリードすべく、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)を通じて「グリーンイノベーション基金(GI基金)」を組織し、世界に先駆けた次世代燃料船の建造・実証を支援している 20。令和6年度予算での600億円に続き、令和7年度当初予算でも300億円(5カ年)規模の生産設備・搭載設備の支援が講じられ、舶用エンジン、燃料タンク、供給装置の開発が進められている 22。
4.1 水素燃料船の開発動向と技術進捗
水素はアンモニアと異なり毒性がなく、燃焼時にN2Oなどの温室効果ガスを排出しない究極のクリーン燃料として期待されている 22。GI基金における水素燃料プロジェクトの最終目標は、2030年までに実船での実証(TRL8以上)を完了することである 20。
川崎重工業(KHI)、ヤンマーパワーテクノロジー(YPT)、日本エンジンコーポレーション(J-ENG)の3社は、2025年2月に共同の水素供給設備を完成させ、実液を用いた液体水素トライアルに成功した 20。
- 川崎重工業: 2025年6月より第1号エンジン(8L30KG-HDF)の水素燃焼試験を開始し、50%負荷において95%以上の高い水素混焼率の達成に成功した 20。実船用の第2号エンジン(12V30KG-HDF)は、出力およびEGR(排ガス再循環)等の設計最適化を進めており、2027年3月の出荷を予定している 20。
- ヤンマーパワーテクノロジー: 単気筒エンジンでの純水素燃焼試験等を経て、2025年7月中旬に800kW級の本格的な中速混焼エンジン(6EY22ALDF-H)の陸上燃焼試験を開始した 20。
- 日本エンジンコーポレーション: 水素脆化に耐えうる燃料噴射デバイスの開発に取り組み、単気筒実機で1,000万回を超える過酷な動作テストをクリアした 20。2025年4月には、商船三井および尾道造船との間で、水素エンジン(6UEC35LSGH型)搭載船の建造契約が締結され、2027年度末の海上試運転に向けて実証フェーズに移行している 20。
なお、液化水素キャリアの基本設計変更に伴い、水素大型供給システムの仕様調整が行われたため、最終的な実船デモンストレーションは当初目標から一部シフトされ、2030年度の完了を目指してスケジュール調整がなされている 20。
4.2 アンモニア燃料船の社会実装と直面する課題
アンモニアは炭素を含まないため燃焼時にCO2を出さず、水素に比して液化貯蔵が容易なことから、2050年のゼロエミッションを実現する最も有力な現実解とみなされている 24。日本は2028年までの早期商業運航(TRL9到達)を掲げている 20。
日本郵船などの共同開発チームは、2024年8月に世界初の商用アンモニア燃料仕様タグボート(サキシマ)を竣工させ、同年11月には実証航海を成功裏に終えて90%以上のGHG削減効果を実証した 20。さらに、商用実船としてアンモニア燃料アンモニアキャリア(AFMGC)の建造が2025年4月に開始されており、ヤラ・クリーン・アンモニア(Yara Clean Ammonia)との傭船契約のもと、2026年11月の竣工および実証航海開始に向け急ピッチで準備が進められている 1。2024年5月には、伊藤忠商事、川崎汽船、NSユナイテッド海運らが「日本クリーンアンモニア海運(NCAS)」を設立し、次世代船の共同運航管理体制を整えている 20。
しかし、アンモニア燃料船の社会実装に向けては課題も顕在化している。ライセンサーであるエバレンス(Everllence、旧MAN)社側のエンジン開発が遅延したことにより、NCASと三井E&Sが主導する統合プロジェクトに1年を超える遅れが生じ、GI基金による一部補助要件の満了を迎える事態となった 20。この結果、2028年度中の商業化達成プロセスの再編成が必要となっている 20。また、未燃アンモニアの排出抑制や難燃性の克服、燃焼時に発生する強力な温室効果ガスであるN2O(一酸化二窒素)を処理する技術開発が課題となっている 20。このため、Kanadevia(旧日立造船)と日本郵船は触媒を用いたN2O分解リアクターの開発を並行して推進し、排出削減率90%以上を目指して開発を行っている 20。
4.3 遷移期のトランジション技術:メタンスリップ削減、合成燃料、風力推進
ゼロエミッション化を完全に達成する前段階の現実解として、过渡期におけるトランジション技術の開発・活用も同時に加速している。
LNG燃料船における最大の課題である未燃メタンの排出(メタンスリップ)を解決するため、排ガス中のメタンを酸化分解する触媒の開発が進められ、実船実証において削減率90%以上という高い成果が評価されている 20。
また、ドロップイン燃料(既存設備を活用可能な燃料)としての期待が高まる合成燃料分野では、2026年2月に日本郵船などが低炭素メタノール燃料船の実証において約65%のGHG排出削減を達成したと公表した 26。大阪ガスは2026年3月に、日本初となる海外産バイオメタンを活用したカーボン・オフセット都市ガスの商業施設利用を開始し、P2G(Power-to-Gas)技術によるe-メタンなどの社会実装への道筋を示している 27。さらに日本郵船などの企業連合は、2026年4月にインドネシアにおいてバイオ燃料の原料となる植林木「ポンガミア」の試験栽培プロジェクトに着手し、ドロップインバイオ燃料のサプライチェーン構築にも取り組んでいる 28。
さらに、即効性のある環境対策として、風力を利用した「風力アシスト推進装置(ウインドチャレンジャー:硬翼帆式風力推進装置)」が注目されている 29。2026年4月, 電源開発向けの既存石炭輸送船「KUROTAKISAN MARU III」に対して、就航済みの既存船への改造工事としては世界初となるウインドチャレンジャーの搭載が完了した 28。これにより、従来の同型船に比べ、日本-豪州航路で約5%、日本-北米西岸航路で約8%の燃料消費量およびGHGの削減効果が見込まれており、既存フリートの効率改善手段としての有用性が示されている 29。
5. 次世代燃料の技術的特性・経済性および供給ネットワーク of 多角的一般比較
国際海運がどの次世代燃料を選択すべきかは、燃料自体の物理的特性、新規造船に伴うCAPEX(建造費・設備投資)、運航時に生じるOPEX(燃料調達費)、および世界的な燃料供給網(バンカリング)の構築難易度という多層的な要因のトレードオフによって決定される 24。
5.1 次世代燃料特性と開発障壁の包括的比較
次世代燃料に位置づけられる水素、アンモニア、e-メタノール、バイオ燃料、およびトランジション期のLNGは、それぞれ大きな長所と特有のボトルネックを抱えている 22。特にe-メタノールや水素、アンモニアなどは既存の給油インフラに適合しないため、初期のエンジン新規開発や港湾バンカリング設備への投資規模が非常に大きい 30。
表3:船舶用次世代代替燃料の多角的一般比較
| 燃料種別 | 体積エネルギー密度 | 主なメリット | 主要な克服課題・技術的懸念 | 日本における建造費(CAPEX)と投資規模 |
| アンモニア | 普通(重油比で約0.4倍) | 燃焼時にCO2を発生しない。水素に比べて液化・貯蔵管理が極めて容易(常圧-33℃で液化)。 | 極めて強い毒性と腐食性を持つ。難燃性であり特殊なバーナーや点火システムの開発が必要。燃焼時にN2Oを副生する。 | ゼロエミッション船(新造)の建造費用は1隻あたり約100億円と想定され、2050年までの日本の総投資額は25兆〜30兆円に達すると推計される。 |
| 水素 | 著しく低い(液体状態でも重油比約0.2倍) | 燃焼時にCO2やN2Oを一切排出しない究極のクリーン燃料。毒性がない。 | 極低温(-253℃)での超断熱貯蔵が必要。金属の水素脆化対策。安全なボイルオフガス処理。 | 液化水素システムの特殊性から、現時点で最もCAPEXの増加幅が大きく、実用化への初期コストが非常に高い。 |
| e-メタノール | 比較的高い(重油比約0.5倍) | 常温で液体であり、既存の給油・貯蔵インフラや船舶側機器をほぼそのまま活用可能。 | 製造時にクリーンな水素と回収CO2(CCU)を必要とするため、燃料製造コスト(OPEX)が極めて高価。 | 貯蔵設備が既存に近いため、船舶側のCAPEXは水素・アンモニアと比較して抑制される。 |
| バイオ燃料 | 良好(燃料種により重油の0.8〜0.9倍) | 既存の重油エンジンに混焼・専焼できる最高の「ドロップイン燃料」。 | グローバルな原材料の調達競争。食糧生産との競合。土地・水資源の制約。 | 船舶側の改造がほぼ不要であるため最も低CAPEX。しかし原料植物等の大規模栽培体制の整備がボトルネック。 |
| LNG | 比較的良好(重油比約0.6倍) | 技術が完全に確立。SOxやNOxを大幅削減。重油比でCO2を約25%削減。 | 化石燃料であるため、2050年のゼロエミッション単体目標は達成できない。メタンスリップ問題。 | 既存技術のため最も経済的。次世代ゼロエミッション燃料までのトランジション(橋渡し)役。 |
5.2 需要予測とマクロ経済へのインパクト
国際エネルギー機関(IEA)の2025年10月の報告書によると、世界の代替バイオ燃料の生産量は成長トレンドを維持しており、2030年に向けてエタノール生産は2024年比13.7%増の1,378億5,000万リットル、バイオディーゼルは同21.5%増の601億9,000万リットルに達すると予測されている 30。しかし、海運が求める需要規模を賄うにはさらなる供給拡大が必要である 30。
日本船主協会などの試算によれば、ゼロエミッション船を年間100隻ほど新造・更新する場合、1隻あたりの平均建造費用は約100億円に上る 31。年平均で1兆円規模、2025年から2050年にかけての累計での総投資額は25兆〜30兆円に及ぶと推計されている 31。この巨額のCAPEXおよび代替燃料調達にかかる高額なOPEXは、最終的に国際海上運賃へと転嫁され、輸入依存度が高い国家におけるインフレの誘発や、世界的な貿易バランスの変容を招くトリガーとなるリスクを孕んでいる 5。
6. グリーンコリドー(緑色回廊)の展開と港湾バンカリングインフラの構築実態
次世代ゼロエミッション燃料の普及を阻む「鶏と卵のジレンマ(燃料がないから船が造れず、船がないから燃料供給インフラが整わない)」を打破するための現実的解決策として、特定の港湾都市間を結ぶ国際航路において先行投資を集中させる「グリーンコリドー(Green Shipping Corridor: GSC)」の取り組みが世界各国で活発化している 32。
6.1 横浜港を基軸とした国際グリーンコリドー連携
日本は自国がG7議長国を務めた2023年以降、主要港湾の国際競争力強化および荷主企業のサプライチェーン脱炭素化ニーズに対応するため、GSC形成に向けた国際協力を強力に進めてきた 33。
横浜港は、米国の主要港(ロサンゼルス港、オークランド港、ロングビーチ港、ワイニィミー港)やシンガポール海事港湾庁(MPA)との間で、脱炭素燃料(水素・アンモニア等)を用いた共同のGSC形成を本格化させている 32。2026年5月には第3回となる主要連携会合がシンガポールで開催され、次世代水素燃料船の模型や移動型陸上支援センターの活用プラン、電気推進(EV)タンカー、および港湾の陸上給電設備(OPS)の実証成果が公開され、現場への社会実装が進められている 34。
6.2 トランジション燃料としてのLNGバンカリング市場の急成長
水素やアンモニアといった完全ゼロエミッション燃料のインフラが未成熟な現在において、LNGを用いた燃料供給(バンカリング)市場が世界規模および日本国内で急速に立ち上がっている 35。
6.2.1 グローバルLNGバンカリング市場
世界のLNGバンカリング市場規模は、2025年の17億5,000万米ドルから、2026年には20億4,000万米ドルへと拡大する見込みであり、2032年には55億2,000万米ドルに達すると予測されている 35。この間の年平均成長率(CAGR)は17.79%と非常に高い水準を維持している 35。これは大手海運会社によるLNG燃料新造船の大量投入と、主要寄港地でのバンカー船配備の進展が要因である 36。
6.2.2 日本国内のLNGバンカリング市場
日本におけるLNGバンカリングの市場規模は、2025年時点で1億9,830万米ドルと評価されており、2034年には3億2,130万米ドル(2026-2034年のCAGR:5.51%)に伸長する予測が立てられている 36。主要港湾におけるLNG供給設備の充実化に加え、大手事業者による燃料調達ネットワークの構築が寄与している 36。一例として、2026年5月22日、日本郵船は北米西岸エリアで初となる自動車船向けのLNG燃料調達年間契約を現地のサプライヤーと締結し、欧州のみならず太平洋航路における安定的かつ効率的な燃料補給体制を具現化している 28。
7. 結論:2050年ネットゼロ実現への多角的針路と提言
2026年6月現在、国際海運の脱炭素化は「世界的な炭素価格付けルールの協議延期」と「欧州における独自排出規制の先行本格化」が混在する、複雑な事業環境下にある。この過渡期において、世界の海運事業者および関係者が2050年ネットゼロの目標を達成しつつ持続可能な成長を維持するための戦略的提言を以下にまとめる。
- 単一燃料依存からの脱却と多角化ポートフォリオの構築 アンモニアエンジンの開発遅延に見られるように、特定の次世代燃料のみに投資を集中させることには高い実務リスクが伴う 20。当面はLNGや低炭素メタノール燃料を採用しつつ、風力アシスト推進装置(ウインドチャレンジャーなど)やバイオ燃料による混焼率の引き上げといった即効性のある環境技術を組み合わせることで、EU ETSやFuelEU Maritimeなどの地域規制を乗り越える柔軟なアプローチが求められる 11。
- 地域規制におけるコンプライアンスツールの最大活用 FuelEU Maritime規則において認められている「プーリング」制度などを戦略的に活用し、自社フリート内、さらには他社アライアンス間でのGHG強度の余剰と不足を融通・相殺させることで、高額な不適合罰金のリスクを最小限に抑制し、経済的な運航コンプライアンスを確立すべきである 13。
- 2026年10月IMO中期対策採決に向けたロビー活動の強化 1年間の猶予期間中において、炭素課税による世界的なコスト上昇リスクや貿易不均衡、途上国への公正な利益還流について、実務的・客観的なデータを提示し続ける必要がある 5。さらにMEPC 84で表明されたような監査結果とペナルティの過度な連動防止、適正なガイドライン作成など、海運の実務実態に即した国際統一ルールの合意形成に向け、政府機関と業界団体が緊密に連携してロビー活動を展開することが不可欠である 10。
引用文献
- アンモニア燃料船編 ー温室効果ガス削減に向けて日本郵船が取り組みを加速 日本郵船これくしょん#11 | BVTL Magazine, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.nyk.com/stories/01/04/20260424.html
- IMO MEPC 84 審議速報 - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/info_service/imo_and_iacs/MEPC84_sum.pdf
- 国際海運におけるGHG削減の取組と 次世代燃料への転換 - 日本海事センター, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.jpmac.or.jp/file/1729060064066.pdf
- IMOにおけるGHG削減に関する動き, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.mlit.go.jp/maritime/content/001709547.pdf
- グローバル海運炭素税がさらに1年延期:IMO延期決議の背後にある ..., 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.sustaihub.com/ja/blog/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E6%B5%B7%E9%81%8B%E7%82%AD%E7%B4%A0%E7%A8%8E%E3%81%8C%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%AB1%E5%B9%B4%E5%BB%B6%E6%9C%9Fimo%E5%BB%B6%E6%9C%9F%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%81%AE%E8%83%8C%E5%BE%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E6%B0%97%E5%80%99%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E9%A7%86%E3%81%91%E5%BC%95%E3%81%8D%E3%81%A8%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BD%B1%E9%9F%BF/
- Impacts of Postponed IMO Vote on Global Carbon Pricing Rules on Shipping - King & Spalding, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.kslaw.com/news-and-insights/impacts-of-postponed-imo-vote-on-global-carbon-pricing-rules-on-shipping
- 国際海事機関、ネットゼロ条約改正の採択を1年延期(世界、米国、英国) | ビジネス短信 - ジェトロ, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/10/78f5cf3c44295789.html
- IMO GHG削減中期対策の解説 - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://download.classnk.or.jp/documents/IMO_MTM_HowItWorks_J.pdf
- 国連によるグローバル炭素税を危うく逃れた, 5月 27, 2026にアクセス、 https://cigs.canon/article/20251120_9418.html
- IMO 第 84 回海洋環境保護委員会(MEPC 84) 主な審議結果, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001999560.pdf
- Article - UK P&I, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.ukpandi.com/ja/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/article/eu-ets-and-shipping-from-1-january-2026/
- EU ETSとFuelEU Maritime規制へのコンプライアンス - Wilhelmsen, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.wilhelmsen.com/ship-management/jpja/european-emissions-trading-system-eu-ets-management/
- FuelEU Maritime 対応に関する FAQ (第 5 版) - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://download.classnk.or.jp/documents/FuelEU_faq_j.pdf
- FuelEU Maritime規則の導入について - テクニカル インフォメーション, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/tech_info/tech_img/T1308j.pdf
- 2025年の海運規制の展望を描く, 5月 27, 2026にアクセス、 https://assets.eu.ctfassets.net/jchk06tdml2i/3Piqf6ST2wU3Km1lsAmoCd/5c52b61cb3c9c7aa93ccad1b9951f214/4qA65vloywhbY4biVAezK6_ja-JP.pdf
- 海運EU-ETSの概要 - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/authentication/eumrv/seminar_001.pdf
- FuelEU Maritime 対応に関する FAQ (第 2 版) - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/authentication/eumrv/FuelEU_faq_2_j.pdf
- FuelEU Maritime - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/research/seminar/2024/11_202411.pdf
- 02_FuelEU Maritime規則の概要及び本会の対応 - ClassNK, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.classnk.or.jp/hp/pdf/info_service/ghg/seminar/seminar_002.pdf
- グリーンイノベーション基金事業/ 次世代船舶の開発 ... - 経済産業省, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/industrial_restructuring/pdf/033_05_00.pdf
- 【日本】商船三井等、水素燃料船の共同開発へ。成功したら世界初の外航・内航大型船用エンジン, 5月 27, 2026にアクセス、 https://sustainablejapan.jp/2021/11/14/mol-hydrogen-fueled-shipping/68066
- 「次世代船舶の開発」プロジェクト 海運のカーボンニュートラルを取り巻く動き 令和7年8月 - 経済産業省, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/industrial_restructuring/pdf/033_03_00.pdf
- 令和8年度 海 事 局 関 係 予 算 概 要 令和8年2月 - 国土交通省, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.mlit.go.jp/page/content/001982275.pdf
- 水素・アンモニア燃料船とは?(Ⅲ) - 脱炭素技術センター, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.decarbonation-tech.com/ship_08/
- カーボンニュートラル社会実現に向けた 次世代燃料のあり方について, 5月 27, 2026にアクセス、 https://lfb.mof.go.jp/chugoku/syoutori/20230214siryou2.pdf
- ニュースリリース:2026年 | 日本郵船株式会社, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.nyk.com/news/2026/
- 当社初となるLNGバンカリング船の命名式を実施 | Daigasグループのプレスリリース - PR TIMES, 5月 27, 2026にアクセス、 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000209.000139670.html
- 世界初※、液化CO2輸送船へウインドチャレンジャー(硬翼帆式風力推進装置)を搭載 - PR TIMES, 5月 27, 2026にアクセス、 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000543.000092744.html
- ウインドチャレンジャー 世界初の既存船への改造工事搭載 | 事例・実績 - mol-service.com, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.mol-service.com/ja/case/wind-challenger-1st-retrofit-bulker
- 次世代燃料導入の現状(1)運輸脱炭素化にバイオ燃料の選択肢 - ジェトロ, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2025/1103/0e0f09ffe5982306.html
- 次世代ゼロエミッション船 - 脱炭素技術センター, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.decarbonation-tech.com/ship_4000/
- カーボンニュートラルポートの取組 - 横浜市, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/yokohamako/kkihon/torikumi/cnp/top.html
- グリーン海運回廊 (Green Shipping Corridor) - 日本港湾協会, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.phaj.or.jp/distribution/lib/basic_knowledge/kiso202304.pdf
- グリーン・デジタル海運回廊形成に向けた日本とシンガポールの協力に関する議論が進展, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.mlit.go.jp/report/press/port04_hh_000526.html
- LNGバンカリング市場 - 船舶の種類、エンドユーザー - NEWSCAST, 5月 27, 2026にアクセス、 https://newscast.jp/smart/news/7858053
- 日本のLNGバンカリング市場は2034年までに3億2130万米ドルに達し - アットプレス, 5月 27, 2026にアクセス、 https://www.atpress.ne.jp/news/4441963
※本ページの内容は、個人的な学習および情報整理を目的として提供しているものであり、その正確性、完全性、有用性等についていかなる保証も行いません。本ページの情報を利用したこと、または利用できなかったことによって発生した損害(直接的・間接的・特別・偶発的・結果的損害を含みますが、これらに限りません)について、当方は一切責任を負いません。ご利用は利用者ご自身の責任でお願いいたします。


